球場の歩き方 #9-2 山形県野球場 レジェンドのメモリアル

山形県野球場の正面入り口の柱に設置されているプレート。89/5/13(土)にロッテ・村田兆治投手が同球場で200勝を達成した記念プレートである。

200勝まで残り2勝、198勝で88年シーズンを終えた村田は、89年の開幕戦を西武から完封勝利で発進。200勝まであと1勝とする。


1週間後、200勝をかけてホーム川崎球場のマウンドに登る。普段はガラガラの川崎球場もこの日ばかりは3万の大観衆で埋まる。テレビも日本テレビによる異例の中継。

近鉄301200000017
ロッテ402000000006

試合は序盤から点の取り合いとなるが、村田はマウンドを降りない。9回か10回裏。ロッテにサヨナラのチャンスが訪れ、一打出れば村田200勝となるもあと一本が出ない。結局村田が延長11回に力尽き7失点ながら完投負け。


次回登板は二週間後の4/30。これまたホーム川崎。また3万の観衆で埋まる。

日本ハム2003000005
ロッテ0100000001

この日の村田は粘れず4回5失点KO。200勝はまた持ち越しとなった。


3度目の挑戦は約二週間後の日本ハム戦。ただし今回はビジターそれも山形県野球場での地方開催。さすがに日程はそんな都合よくできてないか。観衆は約1万。(当時の慣習からして実数は半分位か)

ロッテ0003200027
日本ハム2010002005

今日も打ち合いの展開に。ロッテ打線が中盤に逆転し、再度追いつかれるものの9回表に2点勝ち越し。これを村田完投で守り抜いて三度目の正直で200勝達成。

これがこのプレートなわけです。


39歳のベテラン投手がこの4試合だけで完封、延長11回完投、完投の3完投。これだけでも隔世の感を覚えます。それもホーム球場の大観衆の前ではなく、地方球場で地味に達成。いかにもパリーグ育ち歴戦の勇者っぽいねと思ったんですが、これは同世代のライバル東尾、山田、鈴木啓らがメモリアルの200勝300勝をホームで達成しているので、地方開催が異常に多いロッテ球団ならではといったところでしょう。

村田は32歳からの丸々3年をひじ痛で棒に振った。いわゆるトミージョン手術の先駆け。当時は肩ひじは痛めたらもう終わり、メスを入れるなんてもっての外ってのがスポーツ医学の常識だったのです。今やみんなトミージョントミージョン、それこそ「風邪ひいたからちょっと医者いってくるか」みたいな感覚で気軽に手術できるようになったのは、この方のおかげといっても過言ではありません。

村田は200勝を達成しても燃え尽きることなく、この年39歳にして最優秀防御率のタイトルを獲得。翌年も10勝を挙げるも余力を残して現役引退。引退後のもろもろはご存じの方も多いと思うのであまり触れません。現役を見ていたものとしてただひたすら悲しい。

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