
鎌ヶ谷のレフトフェンスに掲示されている背番号100のユニフォーム。日本ハムファイターズの歴史はすべてこの人から始まる。
大社義規(1915-2005) 日本ハム創業者。一代にして日本ハムを日本一の食肉加工メーカーに育て上げた。徳島の街工場から大阪へそして全国進出の段階で、プロ野球団(日拓ホームフライヤーズ)という「売り物」が出る。かねてから野球好きだった大社はプロ野球参入を決断。以後大社は「日本ハムファイターズ」と改称した球団をわが子のように可愛がった。
我が球団を溺愛する大社氏のエピソードは枚挙にいとまがないが、一つはこのオーナーしょっちゅう現場にお出ましになる。当時の後楽園球場ですね。また仕事で球場に行けない日は球場に社員を派遣、試合経過を逐一電話で報告させては執務室や会議の席にメモを差し入れさせる。ネットや携帯もないこの時代、これが一番確実で速い情報伝達手段だったんですな。(思えばこの報告係はいいね。野球を見に行って給料が出るw)
かくして球界参入から8年目。弱小球団から始まったファイターズはリーグ優勝を達成。オーナーも喜びに浸る。
ただこの後西武の黄金時代が始まり、常に西武の後塵を拝す形になってしまうんですね。自分の愛する球団なんだからジャンジャンお金つぎ込んで強化すりゃいいじゃん、とお思いかもしれません。そこが実業家の肌感覚なんでしょうな。あくまで「広告宣伝費」として妥当な金額しか球団に使わなかった。
また日本ハムという会社、それなりに気骨ある部下がいた。野球を「オーナーの道楽」と切り捨て、これまた必要以上の支出には反対する。かくしてオーナーは我がファイターズを弱いながらも愛した。
05年没。北海道移転後初優勝となる06年には間に合わなかったが、胴上げの瞬間オーナーの遺影が高く掲げられた。09年野球殿堂入り。これを記念して掲げられたのがこの背番号100のユニフォームというわけです。エスコンにも歴代ユニフォームを着た少年たちと大社氏の肖像画があります。



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